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夢と灯火

身辺雑記, etc. 主に気に入った音楽や漫画についての感想

光の雨:Fairground Attraction の Moon on the rain について

試訳

地下のバーに鳴り響くジャズ、雨の日*1に月は出ている
飲み過ぎ、遣いすぎ、またすっからかんね
ああ愛しのひと、今夜はどこにいるの
思い出す、よくテムズのほとりを歩いたこと
堤防の明かりが宝石の鎖みたいだった
はじめのころあなたがいったことを忘れない。
あなたはいったの、「きみの心に光の糸を掛けてあげる」って

持っていたあなたの写真、サイン入りの写真、
ポケットにいれて長いこと経った、いまではぼろぼろ
ああ愛しのひと、今夜あなたの傍には誰がいるの
あの公園の回転遊具にでもいるのかしら
昏くなって閉園してから、柵の間から忍び込んだ。
出会った頃わたしに教えてくれた歌を彼女にも教えているのかしら
私たちの心に響いたあの歌、ベルとバンジョーが奏でるあの曲を

いまではバーは空っぽ、みんな家に帰ってしまった
たぶんこれから、ひとりであの堤防を歩いて帰る
ああ愛しのひと、あなたに会えて良かった、
良かった、ジャズの鳴り響く地下室のバーと、宝石の鎖があって。
飲み過ぎて、遣いすぎてしまったけれど、
雨の日の月が出ているのだから

 

解釈

わたしのお気に入りの曲Fairground AttractionのMoon on the rainについて解釈をすこし書き留めておきたいと思います。まず歌についての大まかなイメージを掴むため、冒頭を引用してみましょう。

Jazz in a basement bar, the moon's on the rain
Drunk too much, spent too much, penniless again
Oh, sweetheart, where are you tonight?


地下のバーに鳴り響くジャズ、雨の日に月は出ている
飲み過ぎ、遣いすぎ、またすっからかんね
ああ愛しのひと、今夜はどこにいるの


この物憂い歌いだしに端的に現れているように、「雨の日の月」が、思い出のジャズバーに足しげく通うわたしの恋の歌であることはまず疑えません。けれど、これだけでは「わたし」の性別や、「あなた」の姿など具体的なイメージまでははっきりしません。
 わたしは最初、

Drunk too much, spent too much, penniless again
飲み過ぎ、遣いすぎ、またすっからかんね


という歌詞からやさぐれた中年男性を想像していたのですが、
恋人の「あなた」が「わたし」に言う

You said,"I'll put a string of lights 'round your heart"
あなたはいったの、「きみの心に光の糸を掛けてあげる」って


という「光」の「宝石」を纏うイメージから、むしろ「わたし」は女性なのではないかと思うようになりました。

 じっさいよく歌詞を読んでみると、次のような文章に出会います。

Is she learning the song you taught me at the start?
The one the bells and the banjos played on our hearts

出会った頃わたしに教えてくれた歌を彼女にも教えているのかしら
私たちの心に響いたあの歌、ベルとバンジョーが奏でるあの曲を


ここで唐突に出てくる「she」は「彼女」と訳すほかはないのですが、さしあたり注目すべきは、かつて「わたし」が恋人の「あなた」にとって占めていた位置を「彼女」がいまは占めているということです。だとすれば、(たいへん異性愛中心主義的な解釈で申し訳ないのですが)「わたし」は「女性」だととるのがよいでしょう。


 さて、この箇所を、「持っていたあなたの写真、サイン入りの写真」というフレーズとあわせて考えてみると、わたしの恋の相手はどうやら「地下のバー」で演奏していたジャズミュージシャンのひとりではないかと推測されます。

ふたりはおそらくジャズバーで、ミュージシャンと観客、あるいは演奏家と歌い手として出会ったのでしょう。お金はないけれど、愛情だけはある。ジャズバーの帰り道、ふたりでよくテムズを歩いて、そんな幸せをかみしめていたのかもしれません。けれどもいつしか「あなた」のこころは「わたし」を離れていきます。

「あなた」は「わたし」を捨て「彼女」のもとに走った。そして場末の小さなバーからどこか遠くへ飛び立っていってしまった。


こうして最初のスタンザの意味があきらかになります。

Jazz in a basement bar, the moon's on the rain
Drunk too much, spent too much, penniless again
Oh, sweetheart, where are you tonight?
地下のバーに鳴り響くジャズ、雨の日に月は出ている
飲み過ぎ、遣いすぎ、またすっからかんね
ああ愛しのひと、今夜はどこにいるの


じぶんを捨てた「あなた」を忘れられない「わたし」はいまでもこうしてふたりの出逢いの場所、「地下のジャズバー」を訪れているのです。

「雨の日の月」はしたがって、彼女の切ない未練を歌った歌といえるでしょう。


ここからが本題です。

タイトルの「雨の日の月」、この歌では、二度このフレーズが繰り返されます。

この繰り返しには意味があります。

歌いだしのフレーズは、悲嘆にくれるわたしの未練を視覚的に表す情景描写になっているわけですが、最後を締めるmoon on the rainの効果は、それとはすこし違っています。最初否定的なニュアンスを伴っていた「雨の日の月」はここでは肯定的な感情のもとで歌われるからです。歌詞をよく見てみましょう。

Oh, sweetheart, I'm glad that we met
And that there's jazz in the basement bars and jewels on chains
'Cause I've drunk too much and spent too much
But there's moon on the rain 
ああ愛しのひと、あなたに会えて良かった
良かった、ジャズの鳴り響く地下室のバーと、宝石の鎖があって。
飲み過ぎて、遣いすぎてしまったけれど、
雨の日の月が出ているのだから

 

But there's moon on the rain、butが示すように「わたし」の感情がそれまで以上に強く込められていることが、まず確認できます。それはいかなる感情なのか。文章の前後を見てみると、この文章が、 I'm glad that...「〜して嬉しい、良かった」という主文の理由を説明する'Cause以下の文章に組み込まれていることがあきらかになるでしょう。さて'Cause以下はふたつの文章が続きます。そのうち前半部の、「飲み過ぎて遣いすぎてしまった」、というのは否定的な事柄ですから、「〜して嬉しい」(I'm glad that...)の理由になるとは考えづらい。としますと、接続詞'Causeによって提示されるわたしの「喜び」の理由はむしろbut以下にあることになる。構文としては[Because [A but B]]と捉えるということです。このbut(逆接の「しかし」)のあとには、したがって「I'm glad」という喜びの感情を説明するだけの強いポシティヴな事実の提示が期待されているといえるでしょう。その事実こそが「雨の日の月が出ている」ということなのです。

いわばここで歌い手は「わたしはあなたに出会えてよかった、だって雨の日の月が出ているのだから」と語っているわけです。

 

ではなぜ「雨の日の月」が喜びをもたらすのか。

ここではあえて、歌詩に込められた技巧からすこし穿った見方をしてみましょう。

ふつう詩の世界では行の終わりの音を一致させて、「韻」を踏みますが、「韻」が揃っている箇所のうちとくに重要な部分では、意味やイメージもなんらかのかたちで重なり合うことが多いものです。
さてbut there's moon on the rainという最後の締めくくりの行は、どの行と韻を踏んで
いるでしょうか。

歌詞をみると、最後のon the rainがAnd that there's jazz in the basement bars and jewels on chainsのon chainsと部分的ながら韻を踏んでいることがわかるはずです。

Oh, sweetheart, I'm glad that we met
And that there's jazz in the basement bars and jewels on chains
'Cause I've drunk too much and spent too much
But there's moon on the rain 

このjewels on chains、文字通りの意味なら「鎖」についた「宝石」ということですが、歌詞を振り返るといちど比喩的なモチーフとして現れていることに気づくでしょう。

I remember when we used to walk by the Thames
The lights on the embankment like jewels on chains
I'll never forget what you said at the start
You said, "I'll put a string of lights 'round your heart"
思い出す、よくテムズのほとりを歩いたこと
堤防の明かりが宝石の鎖みたいだった
はじめのころあなたがいったことを忘れない。
あなたはいったの、「きみの心に光の糸を掛けてあげる」って


ここでは堤防の明かりが糸上に連なっていることを「宝石の鎖」とよんでいます。
だとすれば、地下室のバーですっからかんになり、テムズの土手を一人とぼとぼと歩いて帰るわたしにはじっさいの「宝石の鎖」よりも、この「光の鎖」のほうがふさわしいように思えます。

 

さて、以上のことをふまえて、もういちど最初の問いに立ち返ってみましょう。この「光の鎖」jewels on chainsと「雨の日の月」moon on the rainのあいだにいったい、どんなつながりがあるのか。

ここで「雨の日の月」という風景を具体的に思い描いてみてください。小やみになって、ぽつぽつと糸を引くように降る「雨」のなかに月の光が差し込むと、まるで光の糸のようには見えないでしょうか。
「あなた」は「わたし」に言っていました。

"I'll put a string of lights 'round your
heart"

「きみの心に光の糸を掛けてあげる」

その言葉は、小やみの雨が月光の中に描く無数のきらめく糸によって、たしかに実現されたのかもしれません。

*1:in the rain「雨のなかで」という言い回しとは異なりon the rainという言い回しは辞書には見当たりません。おそらく、後述する「脚韻」の問題がonが選ばれた理由のひとつだと思われます。onは空間的ないし時間的な接触と近接を表しますが、ここでは時間的な意味として捉えました