夢と灯火

身辺雑記, etc. 主に気に入った音楽や漫画についての感想

泉まくらの『春に』をめぐって

 
 
あしもと濁る薄い花びら 自分を重ねて怖くなったのは
大人が急に「もう子供じゃない」と 選択と決断を僕らに迫った頃
明日目が覚めればネクタイの結び目の仕組みを知る
戸惑いの中 置いてきぼりの春が来る

 

 
泉まくらの『春に』は、大学受験、そして卒業を迎える青春の心情を繊細に歌っている。「あしもと濁る薄い花びら」、「明日目が覚めればネクタイの結び目の仕組みを知る」、たったこれだけの具体的な細部から、受験と卒業の季節の不安な心の機微まで描き出す手腕は見事なものだ。
この不安はただ漠としたイメージに止まるものではなく、半ば具体的な輪郭を備えた登場人物を通じて、物語風に語られている。今回は、歌詞の一字一句を踏まえつつ、 この物語を辿ってみたい。
 

「僕」の「置いてきぼりの春」

この物語の登場人物は、おそらく二人の男女の高校生だろう。

一方には、「転校を繰り返して」少しグレてしまったかのような「僕」。彼は、「100点とる自信も」なく、素行の悪さから「反省文」を書くような劣等生だ。その彼とは対照的に「塾」に通い、「うまくやれれば」「一番」をとれるという優等生の「私」。

歌詞は「僕」のそんな「私」に対する「後ろめたさ」からはじまっている。
 
返せずじまい又貸しのマンガ
昨日書いた反省文なんか
胸もやつかせたのはいつでも
誰かへの似たような後ろめたさ
「あっそ」「だから?」
そんな返事がこわくてまたからかう
消しゴムにあの子の名前 おまじない
分かってるよ 全部僕次第

 

「誰かへの似たような後ろめたさ」、「あの子の名前」という形で暗に名指されているのは、おそらく歌詞の次の聯で歌われる優等生の「私」だろう。どうやら「僕」は優等生の女の子「私」を異性として意識しているようだ。
 
けれども二人の関係は恋人というほどには深くない。「『あっそ』『だから?』そんな返事がこわくてまたからかう」という箇所では、自分とはうって変わって真面目な女の子につれなくされるのが怖くて、いたずらをしてしまう思春期の男の子の心情の機微が的確に捉えられている。二人の間には、まだ微妙な距離があるのだ。
 
「消しゴムにあの子の名前 おまじない 分かってるよ 全部僕次第」という部分からは、そんな「僕」が、彼女の名前を消しゴムに書いて、一緒に同じ進学先に行けるようにおまじないをかけているという、いじらしい様子が読み取れるだろう。
 
「あしもと濁る薄い花びら 自分を重ねて怖くなったのは」というフレーズは、だから、好きな女の子と一緒に志望先に合格できないかもしれない、という「僕」の不安な感情を反映していると言える。自分とは違って、真面目で勉強ができるあの子は、きっと合格するだろう。自分は、好きな女の子に置いていかれてしまうのではないか。
 
そう考えてみると、リフレインは、試験の結果が出た後の話なのかも知れない。
「あしもと濁る薄い花びら 自分を重ねて怖くなったのは 大人が急に『もう子供じゃない』と 選択と決断を僕らに迫った頃」とあるように、ここでは、受験前の時点が過去として回想されているからだ。仮にそうだとすれば、「明日目が覚めればネクタイの結び目の仕組みを知る」という箇所は、受験に失敗して、就職を選んだ「僕」の境遇を暗示しているのかも知れない。
こうして、第一聯では男の子=「僕」の視点から「置いてきぼりの春」の到来が歌われる。
 

 「僕ら」の「置いてきぼりの春」

リフレインを挟んだ第二聯では、今度は優等生の女の子「私」の心情が歌われる。一見、順風満帆に見える彼女の心にも、卒業の不安はのしかかっている。
 
何になりたい? 何になれるの?
「それなりに」した努力の行き先
バカみたい「間違いだった」と言い切りたい
身長刻んだ柱も 夕飯で出た赤飯も
私を置いてくだけ
塾帰りうとうと電車揺られ
あと数ページめくってしまえば
いっしょに何かも終わる気がしてる

 

「私」は「それなりに」努力して受験の競争をきちんと勝ち残ろうとしている。あるいは、「夕飯で出た赤飯」というフレーズが示すように、これは彼女が合格した後の話かも知れない。けれども、勝ち残った先に何があるというのか。彼女にはわからない。あと少しで「何かも終わる気がしてる」。この何かというのは、ひょっとすると、「僕」への思いのことなのだろうか。彼女にはそれもわからないのだ。だから彼女は問いかける。
 
答え催促する態度 謳い文句
うまくやれれば獲れる一番も
嘘吐きたくない 私の意志だと
胸張れないのはどうしてだろう
あの日言ってた「春は嫌いだ」って
待って なんでかって教えて

 

​この構成は見事だ。なぜなら、第一聯では、劣等生の「僕」の視点から、優等生の「私」に「置いてきぼり」にされる不安が歌われていたのに対して、ここ第二聯では、あべこべに、どこかに行ってしまいそうな「僕」に「待って」と呼びかけるのは、順調に春を歩んでいるはずの優等生の「私」の側だからだ。今や構図は反転する。順調に見える彼女もまた流れる月日に「置いてきぼり」にされそうになっていて、何か見通しているかのような「僕」にこの不安な感情の理由を尋ねようとしているのだ。
 
こうして、男の子の「置いてきぼりの春」に、女の子の「置いてきぼりの春」が重ね合わされる。今や歌われるのは、「僕ら」の「置いてきぼりの春」だ。
 
あしもと濁る薄い花びら 自分を重ねて怖くなったのは
大人が急に「もう子供じゃない」と 選択と決断を僕らに迫った頃
明日目が覚めればネクタイの結び目の仕組みを知る
戸惑いの中 置いてきぼりの春が来る

 

この歌詞の肝は、対照的な境遇にある二人の意識を交互に描き出しながら、その根底の部分で通底する、「大人になること」を前にした不安を見事に浮かび上がらせる、このような意識のオーケストレーションにあるだろう。
 

結び

「僕」も「私」も、二人とも望まない形で、大人になるように駆り立てられている。「春」は、まだ、子供にすぎない彼らを置き去りに、容赦なくやってくるのだ。果たして、「僕」と「私」の物語の結末はどうなるのだろうか。それは次の箇所に暗示されているばかりだ。

 
でも明日目が覚めたらネクタイの結び目をほどき走る
戸惑いの中 置いてきぼりの春は来る
(ああ 待って いまだけ)
 

「僕」はネクタイの結び目をほどき、彼女のもとへ駆けていくのだろうか。囁くように歌われる「待って、いまだけ」の声は、きっと、流れる季節に取り残されそうになりながらも、それに抗って、懸命に今を走ってゆく二人の声だ。