夢と灯火

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谷山浩子「月と恋人」について:満月の夜の狂ったダンス

  ① 曲の「禍々しさ」と回転のモチーフ

 

谷山浩子さんの歌詞の特徴に「得体の知れない禍々しさ」というものがある。一見、童話風の雰囲気を纏いながら、特定の読み方をすると凄惨な事件が浮かびあがるCOTTON COLORをはじめとして、陽気なメロディに乗って狂気が闊歩する「たんぽぽ食べて」、世界の滅亡を謳い揚げる滅亡三部作など、谷山浩子さんの歌詞にはしばしば後ろ暗い衝動のようなものが隠されている。

「月と恋人」もまた ––「きみの小指の先から邪悪な冷気が出てる」という歌い出しが示す通り––、そのような禍々しさを体現している楽曲だ。恋人と満月という一見ロマンチックな取り合わせは、ここでは、この両者が文化的にまとう狂気のコノテーションを通じて、恋の熱に浮かされて過ごす不眠の夜の錯乱へと姿を変えてしまう。

 

きみの小指の先から 邪悪な冷気が出てる

狂い始めたら 誰も きみを止められない 

一晩 しゃべりつづける なんにも意味のない嘘

クルクルと回るだけの きみと影のダンス

気をつけて(満月に)つかまるよ (あばかれた)

隠しても(心を)もう隠せない

月の子供のランラララ…

笑う夜 ランラララ… 恋する者たちは ランラララ…

眠れない いつまでも

 

小指のリングは片思い、関係の進展を願うものだと俗にいわれるが、その小指から放たれる「邪悪な冷気」とは、おそらく、片思いの恋に苦しんでいる「きみ」の暗い情念を象徴するものだろう。恋の熱に浮かされた「きみ」は、不眠の夜、くるくると同じところを廻り続ける。

狂気を思わせるこのような歌詞に相まって、ここでは、音楽がさらに強烈な「禍々しさ」のイメージを作っていることを見逃すわけにはいけない。もう一度曲を聴いてみてほしい。

 

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アコーディオンかなにかだろうか、同じフレーズが、おそらくは同じテンポで、周期的に鳴り続けていることに気付くはずだ。その音色は、まるで夜の人気のない遊園地で、メリーゴーランドがひとりでに回転し続けているような印象を与える*1 このような回転のイメージは、歌詞にあるつぎのフレーズによってよりいっそう明確なものとなるだろう。

 

狂い始めたら 誰も きみを止められない 

一晩 しゃべりつづける なんにも意味のない嘘

クルクルと回るだけの きみと影のダンス

 

歌詞で歌われる回転のイメージと、曲中の同じフレーズの反復、このふたつがひとつに結びつき、止まることを知らない「満月の夜のダンス」を、聴き手の脳内に音響的かつ映像的に描き出す。恋に取り憑かれ、同じところをくるくると廻り続ける「きみ」の心、それはまるでサバトを思わせる悪魔主義的な光景だ。この曲の禍々しさの理由のひとつは、まさにここにあるだろう。

 

 

② 回転のイメージから派生する「不毛さ」と「堂々巡り」のテーマ

この「きみと影のダンス」という表現の含意はおそらくそれに留まらない。「きみ」が恋愛と思っているものは、「自分の影」とのダンスにすぎない、つまりは不毛な一人相撲というわけだ。相手の気持ちがわからない不安にひとり空回りする「きみ」。ここでは片思いのなかでおそらく誰もが経験するであろうあの感覚が見事に表現されている。

二番の「見えないグラスの中に 見えないワインを注ぐ」という謎めいた歌詞は、おそらくこのような文脈で理解可能だろう。

 

見えないグラスの中に  見えないワインを注ぐ

国中のアクマたちと そして恋のために

 

恋愛を歌う曲において、グラスに注がれるワインは普通ならデートの場面を想像させるが、「見えないグラス」「見えないワイン」という表現は、この場面がまるで錯乱する「きみ」の妄想、勝手な思い込みであるかのような印象を与えてしまう。

自分の頭のなかにしかないはずの「見えない」ワインを、まるで実際に飲んでいるかのような気になって、いつのまにか酔いがまわっていく「きみ」の姿は、恋愛という狂気のきわめて的確な象徴表現なのかもしれない。

じっさい歌詞は次のように続く。

 

きみはただ恋のために、何もない恋のために

踊り続ける 疲れて 倒れて眠るまで

 

なぜ「何もない恋」なのか、その理由はもはや明らかだろう。不眠の夜を過ごす「きみ」は、ひょっとしたら自分の頭の中にしか存在しないかもしれない恋愛のために踊り続けているのだ。そこにはいかなる実体もない。勝手にくるくる回り続ける自動人形のように、「きみ」はただ自分の思い込みの中を堂々巡りしているにすぎない。

すでに指摘した反復するメロディは、まさにこの堂々巡り、どうしようもない自己反復をこれ以上ないほどにうまく表現しているといえるだろう。

以上のことを踏まえるとき、この曲が次のように閉じられることは、きわめて意義深いことに思える。

 

夢が心の ランラララ…

戸を叩く ランラララ…

誰もが胸騒ぎ ランラララ…

眠れない いつまでも

 

それは、堂々巡りに決着をつける、①外部からの「他者」の訪れ ②安心した眠り(夢)の訪れ ③恋の成就、このすべてを同時に表現しているように思われる。その訪れを待ちながら、いつまでも眠れない不眠の夜は続く……

 

*1:このような回転の印象は、すでに曲の始まりから聴き手に与えられている。そこでは、まず最初に不気味なSEがなった後、件の周期的なフレーズが徐々に加速しながら、一定のリズムに達する。この加速は、物体が回りはじめたときのような印象を聴き手に与えることに成功している。