夢と灯火

身辺雑記, etc. 主に気に入った音楽や漫画についての感想

線分と時間:nano.RIPEの歌詞について

nano.RIPEの歌詞にはほとんどいつも共通したひとつのテーマがあるように思う。それはひとつの線分で結ばれた過去、現在、未来を旅するイメージだ。もっとも分かりやすいのが、おそらく、ボーカルのきみコが提供した、ミリオンライブの楽曲、「プラリネ」だろう。

今をゼロとしてどちらがプラスになるのでしょう?
わからない だけど行かなくちゃ 動けないならついておいでよ

後戻りできないくらい遠くまで来たんだ もう
あなたからもらったなにもかも道しるべにしてきたよ


彼女が作詞した他の歌を知っている者からすれば、これは単にゲームのキャラクターの心情表現であるだけでなく、きみコの歌詞の世界にとりついて離れないイメージのように思える。
それはツマビクヒトリの次のような歌詞をみれば一目瞭然だろう。

[...]

気が付けば遥か遠いところまできてしまった
たったヒトリで

ざわめくかりそめのココロその裏で たなびく過去 今 未来 付かず離れず
揺らめくキオクを連れ未踏の世界へ

 

時間の旅というテーマは、タキオンのつぎのような歌詞においても姿を見せるだろう。

ほんの少し近づいてまた遠ざかった 瞬く間に遥か先へ いや過去へ
ぼくが今向いているのは未来だっけ スピードなら光くらいザラに出るよ

 
このように、彼女の歌詞の世界では、過去と現在、未来はひとつにつながった一本の線をなし、そのなかで旅をすることが歌の叙情の核となっている。

 この時間のイメージはたぶんに抽象的だ。人間はかならずしも過去、現在、未来をひとつの線分のようには生きていない。ハローできみコ自身が歌うように、「まっすぐっていうのは自然ではあり得ない」。
ひとはしばしば同じ過ちを繰り返すし、そもそも、すべての過去がひとつの未来をめがけて一本に伸びているかどうかは、未来までの道のりをすべて辿りきらなければ、はっきりとはいえないことだ。行き止まりも引き返すこともなくまっすぐ伸びていく過去、現在、未来というイメージは、だから、彼女自身の実感というよりはむしろ、その願望に属する事柄といえる。
そのような願望を抱くのは、逆説的にも自分の過去と現在が、ひとつの目的を目指しているということを信じられない人間のように思える。
彼女の歌は、結局のところ、次のような不安に抗して歌われているのだ。

明日が消えてしまうかも すべて消えてしまうかも
ぼくがココに居たこともなかったことになるかもしれない

[...]

離した指の行方は?
解いた糸は切れてしまう?
破った誓いは塵になる?

 

つぎつぎと流れ去っていき、流れる傍から掻き消えていく記憶、どこへ向かうかも分からない時間の奔流。彼女の歌は、繰り返される忘却に抗して、過去と現在、そして未来を数珠のように繋ぎ止めようとする。

時間が後ろへ流されてく 手を振る間もなく流されてく
あの子の匂いが薄れてゆく 赤い目をこすった まだ眠りたくない

夢を見るたびオトナになる 大事なものから零れてくの?

もしも明日目が覚める頃すべて忘れてしまうとしても
爪で掻いた傷跡もいつかは消えてしまうとしても

ぼくの細胞のヒトツがずっと覚えてるから (「細胞キオク」)

 

今手にしている感情さえも明日にはもう頼りないものだ 
そんな当たり前に染まれなくて
 
流れる景色に融け消えた日々に 遺せた何かはあるのかな
[...](「フラッシュキーパー」)

 


離したそばから繋いでしまえ あたしの中だけでいいから
(「パラレルワールド」)

 

彼女の歌詞のなかに頻出する「記憶」のテーマはすべてこのような彼女の未来=時間への不安と結びついている。

この不安は、今の自分を捨て去って新しい未来へと跳躍したいという、もうひとつの願望とうらはらの関係にある。じっさい、彼女は、過去のどんな些細な瞬間も捨てたくないと思いながら、しばしば現在の自分であり続けることに苦痛すら感じているように見える。

堰を切ったノドから手が出るほど欲しくなったんだ
ぼくじゃない別のだれか
夢と希望 他になにが要ると思えた頃のぼくは今いずこへ (スノードロップ)

 

もがいたって足掻いたって沈んでゆくばかりだ
なんとなくじゃ変われないって痛いほどわかってるはずなのに(セラトナ)

 

空になりたいな くだらないぼくを捨て
きみになりたいな その目で空を見てみたい (絶対値)

 
結局、彼女のなかにある葛藤は、彼女自身が「痕形」と「ツマビクヒトリ」ではっきりとつぎのように歌っている状態以外の何ものでもないだろう。

そんでぼくはこんなにも未来を欲しがるくせにさ
まだぼくはこんなにも過去にしがみついてんだろう (「痕形」)

 

変わらないもの探しては変わりたい僕に惑うよ (「ツマビクヒトリ」)

 
ひとつの線分で結ばれた過去、現在、未来という時間のイメージは、このように持続とゼロからの開始というふたつの願望の間で揺らぐ彼女にとっては、アンビヴァレントなモチーフとなるだろう。

この葛藤の解決を詳しく追うことはできないが、彼女の歌詞を読めば、彼女が出した答えを推測することはできる。

 

行こう せーので飛び越えよう 約束なんて忘れてしまおう
今日が昨日に変わるたびにぼくら新しくなれるから
利き足が宙に浮いたらまたゼロになる

明けない夜はないというけれど明けてほしくない夜を知らないの?

始まれば終わることばかり それなら始まりを繰り返そう
何万回と越えた夜はつまりはそういうことでしょう?

今日が昨日に変わるときに繋ぐのは指ではないと知れば
どんな夜もぼくらを離せないから見えない線をイメージして
せーので今飛び越えよう

(「日付変更線」)

 

過去が失われてゆくものだとしても、絶えざる開始=跳躍の積み重ねが生み出すひとつの持続があるのだとおそらく彼女は信じているのだ。だからこそ彼女は歌い続けることができる、まるで昨日などなかったように、前だけを向いて。その後にはひとつの道が出来るだろう。