夢と灯火

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空駆ける自由は誰のものか:湯川潮音の歌詞について

初期楽曲から「かかとを鳴らそ」まで

 湯川潮音の初期楽曲を聴くと、「飛翔」というモティーフの執拗な反復ぶりに驚かされずにはいられない。

 たとえば、代表曲「渡り鳥の三つのトラッド」では「極上の羽飾りのコートをまとって」みっつの季節の面影へと吸い込まれていく「あなた」と「飛び立てる羽」を持たない「私」の離別が語られ、「海の上のパイロット」では、船とともに海に沈んでゆく「私」を置いて飛行機で空へと飛び去っていく「あなた」の姿が描かれる。

 同じアルバムに収録されている岸田繁作曲の「裸の王様」では、「鉄格子」の窓に閉じ込められた「私」によって、「日が昇るのも沈むのも目をくれないで、飛び立って行ける」「天を舞う鷹のよう」な「あなた」の「戦い」が歌われるいっぽう*1、つづくアルバム「紫陽花の庭」においては、「高らかに舞い上が」り「私よりどこまでも遠いとこへいく」ツバメの姿に対する「私」の明るい憧憬(「ツバメの唄」)が歌詞のリフレインを形作る。

 このように、湯川潮音の初期楽曲においては、自由に大空を飛ぶことは、ほとんどつねに、「私」には手の届かない男性的な美質として現れる。 若いころから海外に親しんでいた彼女にしては意外なことに、空を駆け、異国へと飛び立っていける自由を享受するのはあくまで「あなた」であり、歌い手の側は、しばしば閉所に閉じ込められ、広い空間を駆けていくことを許されないのだ*2

 この関係はそのまま歌詞の中で歌われる「恋愛」のありようと重なっている。ちょうど「さよならの扉」や「見つめてごらん」が示すように、「私」を捨てて立ち去っていく「あなた」に対して、「私」は思い人が残した「言葉」にとらわれたまま、「私さえ ここにいるように」(「キルト」)と、「待つ女」の姿勢をつらぬきつづける。彼女の歌詞にあっては「あなた」が「私」を捨てて旅立っていくことはあっても、「私」が「あなた」を拒絶し遠ざかっていく、というような光景は稀なのだ。かりにそのような離別があったとしても、「私」はつねに「あなた」がふたたび自分を訪れてくれることを心のどこかで願い続けている。

 

さよならの扉 固く鍵を回したけれど

同じ気持ちなら またノックして

ありがとうの声は 電話越しに鳴り響くチャイム

いつか聞こえると信じていたいから

 

一点に固着し、閉ざされた「私」と、広い空間へと開かれた「あなた」の自由、この対比は湯川潮音の曲の常数である。

このような、ほとんど保守的といってもいい、「私」と「あなた」の関係の上に築かれた彼女の歌詞の世界にあって、今回とりあげる「かかとを鳴らそ」はひとつの転換点を形作っているといえるだろう。

 

囚われていた鎖 解かれたら

出口のない空に身震いした

どこへ行こう

どこへでも行けてしまうから

いつまでもわたしは踏み出せないまま

 

「出口のない空」「僕は踏み出せない」という表現からは、いっけん彼女の初期作品と通底する「閉塞感」が歌われているようにみえるが、ここには見逃せない変化がある。歌い手の一人称「わたし」に対応する「あなた」が不在なのだ。これは湯川潮音の歌の世界に変更を迫るきわめて重要な細部だといわねばならない。彼女の歌の世界の多くを構築していた「あなたー私」の関係の消失。歌い手がいまや、「どこへでも行けてしまう」のはこのような人称関係の変化と切り離すことが出来ないだろう。「あなた」に従属する「私」から、自立して生きる「わたし」の単独性へ、この変化が「鉄格子の窓」のなかに歌い手を繋ぎ止めていた「鎖」を断ち切ったのだ。

 

つづく後半部はそのことをよく示している。あたかも沈み行く船と心中するような女性的な忍従から解き放たれ、「海の上のパイロット」が象徴するあの少年的な冒険をわがものとしたかのように、彼女は歌う。

 

変わり始めた空は広がり続けている

思っていた様にずっと歩こう

囚われていた鎖 解かれたら

出口のない空に身震いした

かかとを鳴らそ

どこかへ辿り着いた時

ぼろぼろに疲れて笑っていたい。

 

「出口のない空」、たしかにここでは、「空」はその途方もない広がりによってかえってひとつの「壁」のように機能してしまっている。 けれどもそれは「湯川潮音」の初期楽曲を支配していた、二者関係の、あのどうしようもない閉塞感とはあきらかに異質なものだ。それはちょうど、閉所に閉じ込められていた人間が外へ顔を出したとき、空のまばゆさに立ちすくんでしまうあの感覚そのものだろう。この途方もない自由の目眩。「あなた」に繋ぎ止められて生きる「私」とはちがって、どこへでも行ける「わたし」は空へと飛び立っていくことすらできるにちがいない。 湯川潮音は、ひるむことなく歩き始める。いま、空を駆ける自由は彼女のものだ。

 

 

*1:ここでは「蝶」というかたちで例外的に女性と飛翔とが結びつけられているが、あくまで飛び立ったさきで見つけるものは「あなたの見たもの」ではないことが強調される

*2:むしろ「HARLEM」の歌詞が示す通り、「私」にとって異国への旅は、「まるでわからぬように」話される異国の言葉を聞きながら「あなた」の「小さな箱庭」に幽閉される経験となる。